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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和58年(ネ)21号 判決 1987年5月13日

控訴人・附帯被控訴人 国 ほか一名

代理人 畑中英明 山本忠範 西村金義 小中敞次 川村伸一 ほか五名

被控訴人・附帯控訴人 八十島元一 ほか二名

主文

一  控訴人ら(附帯被控訴人ら)の本件控訴に基づき原判決中控訴人ら敗訴の部分を取消す。

被控訴人ら(附帯控訴人ら)の請求を棄却する。

二  附帯控訴人ら(被控訴人ら)の附帯控訴を棄却する。

三  訴訟費用は第一・第二審とも被控訴人ら(附帯控訴人ら)の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴

1  控訴人ら(附帯被控訴人ら、以下単に控訴人らという)

主文一、三項同旨。

2  被控訴人ら(附帯控訴人ら、以下単に被控訴人らという。)

控訴人らの本件控訴を棄却する。

訴訟費用は第一・二審とも控訴人らの負担とする。

二  附帯控訴

1  被控訴人ら

原判決中被控訴人ら敗訴部分を取消す。

控訴人らは各自被控訴人八十島元一に対し金一五万三九五〇円、同久田友恒に対し金一五万三一六〇円、同堀川恭偉に対し金一五万四三九〇円及び右各金員に対する昭和五一年三月二一日以降各完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

訴訟費用は第一・二審とも控訴人らの負担とする。

2  控訴人ら

主文二項同旨。

附帯控訴費用は附帯控訴人らの負担とする。

第二当事者双方の主張は次のとおり訂正及び付加するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  被控訴人らの主張

国家賠償法三条の立法趣旨は、公務員の選任もしくは監督に当る者と公務員の俸給・給与その他の費用を負担する者とが分かれており、賠償責任の帰属主体が不明確となつている場合、誰が窮極の責任者であるかを明示しないで内部関係に任せ、外部的には双方が賠償責任を負うことにしてその選択を被害者に任せて被害者の保護を図ることとした点にある。そして同条一項の「公務員の俸給、給与その他の費用」とは公務員の人件費に限定する趣旨ではなく、ひろくその事務の執行に要する人件費及びその他の経費をいうと解されているところ、控訴人国は、警察法三七条一項に掲げる経費を支弁し、同条三項において、その他の経費について補助金を支出しており、右経費の負担は単に警視正以上の階級にある警察官の俸給等にとどまらず警察活動の主要なものに及んでいる。

そのうえ、本件機動隊員による暴行等は警察法三七条一項七号、同法施行令二条七号において、国が経費を支弁すべき警備のための機動隊の出動、機動隊の運営に起因して発生した加害行為と解され、控訴人国は国賠償法三条一項の費用負担者に該当する。

二  控訴人らの主張

原判決一三枚目裏九ないし一一行目「被告国が」から「争う。」までを「控訴人国が警視正以上の階級にある警察官の給与その他の警察法所定の経費を負担していることは認め、控訴人らに賠償責任があるとの主張は争う。」と訂正し、その次に改行して以下のとおり付加する。

国賠法一条に係る事案につき控訴人国の同法三条の責任が肯定されるためには控訴人国が単に補助金等を支出しているだけでは足りず、当該公務に要する費用の一次的な費用負担義務者である公共団体と同等もしくはこれに近い運営費用を負担し、実質的には国が右公共団体と当該公務を共同で執行していると評価され、これに伴い当該公務による危険を効果的に防止しうる立場に立つていると認められる必要があるところ、国が警察法三七条一項、三項により控訴人石川県の警察費の一部につき支弁金、補助金を支出しているからといつて、その支出額は警察費の総額に比し、僅少であり、右金員の支出と警察事務の執行との間に具体的な関連性があるものではないうえ、警察事務は原則として都道府県に属する事務であり、国は例外的に警察法五条二項各号の事務をつかさどり、七一条の場合において当該地域の警視総監又は警察本部長に対し必要な命令をし、又は指揮をするものとされているにすぎず(警察法一七条、七三条)、国と都道府県とが形式的にも実質的にも都道府県の警察事務を共同執行しているものと目することはできない。

従つて右の支弁金、補助金を支出していることをもつて、控訴人国が控訴人石川県の警察官がなした不法行為について国賠法三条一項の責任を負うものではない。

第三証拠関係 <略>

理由

第一  本件捜索差押を実施するために警察部隊が金大構内に至るまでの経緯及び機動隊によつて学生らが金大法文学部校舎二階の北側階段踊場に排除されるまでの経緯については次のとおり訂正、付加、削除するほかは原判決一八枚目表四行目冒頭から二八枚目表一行目までのとおりであるからこれを引用する。

1  原判決一八枚目表四行目<証拠略>の次に<証拠略>を加え、二一枚目表八行目、九行目にかけて「第一小隊二四名、第二小隊二九名」とあるのを「第一小隊村田拓生小隊長以下二四名、第二小隊江上小隊長以下二九名」と改め、二一枚目裏八行目「ヘルメツトを被り、」の次に「両手に軍手をはめ、更に防護手袋(寵手)を着用し」を加え、同九行目「防護楯(長さ約一・一メートル、幅約〇・六メートル」とあるのを「防護楯(長さ一一一センチメートル、幅五三・五センチメートル、重さ約五・六キロ」と改める。

2  二三枚目裏初行から九行目までを次のとおり改める。

右当事者間に争いのない事実、<証拠略>を総合すると以下の事実が認められ、<証拠略>中右認定に反する部分はたやすく措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  二四枚目裏五行目に続けて次のとおり付加する。

被控訴人らはいずれも金大の学生で、被控訴人八十島、同堀川は革マル系全学連の一員、同久田も全学連所属の活動家であつた。被控訴人三名は、抗議の意思表示として全員ヘルメツトを被り、警察の顔写真撮影に対処するためタオルやマスクで覆面をしていた。又その場には金沢弁護士会所属の弁護士が学生らの後方五、六メートル付近にいて現場のなりゆきを見守つており、又新聞記者三・四名も取材に来ていた。

4  二四枚目裏六・七行目を次のとおり改める。

被控訴人らは別紙図面(一)のとおり被控訴人八十島は右学生集団の一列目中央に、同久田は二列目左側、同堀川は二列目中央に位置していた。

5  二七枚目表初行から同裏九行目までを次のとおり改め、同一〇行目から二八枚目表初行までを削る。

(一七) 第一分隊中淳一分隊長以下一一名は出動の際、捜索差押を妨害する学生がいた場合これを排除する任務を与えられており、第二分隊瀬戸谷分隊長以下はバリケードなど障害物があつた場合これを取り除くよう指示されていた。

(一八) 岡橋隊長から排除の指令を受けた中淳一分隊長は第一分隊一〇名に対し、排除の体形は二列横隊で学生らを後方の階段付近まで排除すること、その方法は第二連鎖体形で前列の五人の楯を連鎖させて行うこと、排除後はその場で学生らが文科自治会室前の廊下に戻つてこないよう阻止線を張ること、隊列は絶対に崩さないことを指示して、二列横隊を作らせた。第一分隊一〇名は漆原副隊長、村田小隊長、中分隊長とともに警察部隊の最前列に進み出た。

(一九) 右機動隊員のうち前列の五名は、それぞれ右手を楯の右上部取手に、左手を楯の中央部取手に、楯を床から約三〇センチメートルくらいあげて右翼の楯の左端に左横の隊員の楯の右端が約四、五センチメートル重なるようにして連鎖させて両手で所持し、後列の五名は楯を持たずに前列の隊員を後ろから支える形で二列に並び、村田小隊長の「前へ。前へ。」という号令に合わせて左足を前にし、右足が後ろで左、右、左、右と半歩ずつ前進し、学生らを後方に排除し始めた。

(二〇) 右排除の際、学生らは一部スクラムを組んだりして排除されないよう抵抗し、その場を動こうとしなかつたため、機動隊員が押してくる楯に学生らの身体や彼らが被つているヘルメツトがぶつかるなどして、「ガンガン」「ドンドン」「バシンバシン」などという楯に物体が打ちあたる物音がした。機動隊員は学生らを押しても前進できない時はその場に一端止まり、それから半歩ずつ前進して学生らを押して原判決添付図面(一)の<1>地点から三、四メートル離れた北側階段踊場(別紙図面(一)(二)表示)まで排除した。

第二  本件捜索差押の実施と二階北側階段踊場における機動隊員による学生らの看守及びその後の移動状況

一  <証拠略>を総合すると

1  前記の経緯で学生らが法文学部校舎二階の北側階段踊場まで排除されるのと併行して、警察側の捜索実施班と進藤学部長、三代川教務委員長及び橋本学生係長ら学校関係者が同日午前一時一六分ころ入室しようとしたが、文科自治会室の入口付近の状況は、ロツカーを床に固定して並べ、幅が約三〇センチメートルくらいで人が横になつてやつと入れる程に狭くかつこの通路もクランク型に曲がつていた。そのため、当初これら障害物を取除こうとしたが、容易に取除くことができなかつたので、そのままの状態でどうにか入室した。室内には誰もいなかつたが、窓ガラスは全部金網のネツトが張られており、ベツド、机、本棚、洗濯機、冷蔵庫等が備え付けられ、これら事情により、捜索、差押に若干時間を要した。

2  他方前記の経緯で機動隊は学生らを法文学部校舎二階の北側階段踊場まで排除し、同所において捜索差押班の警察官が文科自治会室に入るのを学生らが妨害しないように看守した。右看守状況は一〇名の機動隊員が廊下側二名、階段側三名でL字形を作つて二列になり、村田小隊長の「阻止」の指示を受けて前列の五名の隊員が一せいに楯を下ろして学生らが阻止線から出ないようにし、後列の隊員は前列の隊員の肩や腰を手で支えるというものであつた。

3  看守していた機動隊の前列の最右翼員は、原判決添付別紙図面(二)表示の便所入口の柱に接し、最左翼員は一階に降りる階段降り口のほぼ中央付近に位置していた。従つて学生らは文科自治室方向へ行くことは機動隊員によつて阻止されていたが、一階へ降りようと思えば自由に降りられる状況であつて、被控訴人らが請求原因1項の(二)で主張するように身動きのできない状態で監禁されていたわけではなかつた。

4  被控訴人ら三名はいずれも前列の機動隊員と接する位置にいて階段に近い方に被控訴人久田、便所の柱付近に同八十島、その中間付近に同堀川が位置していた。

5  右のように看守されている間も学生らは抗議の声をあげ、かつ「突破するぞ」と叫んで機動隊員が阻止線を作っている楯に頭突きしたり、足蹴りして文科自治会室方向へ行こうとして抵抗した。そのため「ドスン、ドスン」「ガンガン」などという楯に体当たりしたり、楯を蹴る音がしたし、学生らがもみ合つて楯にぶつかつていたため、ヘルメツトが脱げたりする状態であつた。

6  当初五名ずつ二列になつて学生らを看守していた機動隊は文科自治会室方向へ押してくる学生らの力が次第に強くなつたので、階段側にいた後列の機動隊員が文科自治会室側の応援にあたり、別紙図面(二)記載のとおり階段側の方は楯を持つた機動隊員一列が学生らに相対している状態となり、文科自治会室側の方は楯を持つた機動隊員の後ろを二、三名の機動隊員が後押しをする状況となつた。その際の被控訴人らの位置は別紙図面(二)のとおりであつた。

7  右の状況を二一号教室と二二号教室(別紙図面(二)表示)との中ほどで見ていた丹保課長のところに前記弁護士が来て「何故捜索に弁護士を立会わせないのか」と抗議してきたので同課長は「正当な立会人をつけて捜索を実施している」と返答したが、この際同弁護士から機動隊の看守行為に関する抗議はなかつた。

8  丹保課長は右6の看守状況を見て、看守場所が捜索場所に接近しているうえ、階段の踊り場であることから学生が転倒し、負傷者の出るおそれもあつたので危険であると判断して、機動隊の漆原副隊長に対し、学生らを少し離れた安全な場所へ移送し、看守を続けるよう指示した。又同課長は移送に当たつて集団のままで移送すると学生らの攻撃が強まつており、相当のトラブルの発生も予想されたので学生らを個別に移送させた方が適当であると判断し、この点も漆原副隊長に指示した。

この指示を受けて同副隊長は、看守中の機動隊員に学生らを一人一人国文学研究室方向に移送するよう指示し、この命令を受けた機動隊員は、文科自治会室側で機動隊員と接している学生から移送を始めたが、その順番は一番目が被控訴人八十島、二番目が証人野瀬、三、四番目が被控訴人堀川、五、六番目が被控訴人久田、八、九番目が証人和泉谷、最後が証人島田であつた。学生らは引つ張り出されないよう仲間が拘え込み、又移送される時も足をバタつかせたり、移送にあたつた機動隊員の腕をふりはらつたり、文科自治会室前を通る時には文科自治会室へ行こうとする動きを示すなどして移送に抵抗した。学生らのうち移動に素直に応じた者に対しては一人の機動隊員で、抵抗しようとする者に対しては二人係りで両腕をかかえるようにして移動させた。

被控訴人久田は別紙図面(二)の<2>の位置におり、ヘルメツトとマスクをしていたが、中分隊長が被控訴人久田の両脇に両手を差入れて引き抜き、原判決添付別紙図面(一)の<1>のところまで一人で移送し、そこで二人の機動隊員に引渡し、更に国文学研究室の横の廊下付近まで移送された。

9  こうして学生らは全員国文学研究室の横の廊下に移動させられたが、その際採証検挙班の私服警官が二四号教室前廊下において被控訴人らを含むほぼ全員の学生に対し警察官職務執行法(以下「警職法」という。)二条の職務質問の一手段として軽犯罪法違反の被疑者が左手につけているとみられる手錠及び手錠痕を発見するため、手を取り、若干袖を上げる等して左手首付近を調べた。

10  捜索差押部隊は捜索の適法、妥当性を確保すること及び学生らが捜索の妨害や違法行為を行った場合その採証をすることを目的としてあらかじめ捜索差押班及び採証検挙班の中に写真要員を配備して出動した。そして捜索差押班の写真要員が文科自治会室内における捜索状況を撮影し、採証検挙班の写真要員であつた金沢東警察署北井徳一巡査部長が文科自治会室前付近廊下における学生らの妨害状況、警察部隊の看守及び移送の状況等の写真撮影を行つた。移送に際しては前記8のとおり学生らが抵抗したのでほぼ全員の学生の移送状況の写真撮影がなされた。

又捜索部隊が文科自治会室を捜索した際、報道関係者数名が捜索現場付近におり、文科自治会室への入室状況、被控訴人ら学生の移送状況等を文科自治会室前廊下付近において適且フラツシユをたいて写真撮影していた。

11  国文学研究室横の廊下での看守状況は別紙図面(三)記載のとおり学生らを廊下に並ばせ、機動隊員はこれと若干距離をおいて廊下をふさぐような形で看守していた。

しばらくして現場にいた前記弁護士が丹保課長に「もういいんじやないか。」と看守を解くよう要求した。そこで同課長は漆原副隊長に学生らの様子を確認したところ、同副隊長は、学生らもおとなしくなつたので、看守を解いても捜索が妨害されるおそれはない旨返答したため、同課長は看守を解くよう命令し、午前一時三〇分頃看守は解かれた。

12  野瀬も他の学生らと同様国文学研究室の横の廊下付近まで移動させられたが、看守が解かれた後警察官から立会を認める旨告げられたので、午前一時三二分頃捜索の途中から文科自治会室の中に入つたが、そのとき唇から血がにじみ出ていた。野瀬は右入室直後、蔵警部や他の警察官らに対し、機動隊員が自己や他の学生らを階段横に排除した上、国文学研究室横の廊下付近に連行し、学生らに暴力を振つたとして大声で抗議したが、警察官らはとりあわなかつた。

13  その後野瀬立会いのもとで捜索差押が続けられた結果、竹棒二本を発見したので、これを押収し、野瀬に押収品目録を交付し、本件捜索差押は同日午前一時五七分ごろ終了した。

14  右捜索差押が終了した後、被控訴人八十島は加療約五日間を要する左右大腿部打撲傷(内出血)の傷害、被控訴人久田は加療約一週間を要する右目右膝関節打撲症の傷害、被控訴人堀川は加療一週間を要する上口唇、左第一趾挫創の傷害を受けていることが判明した。

以上のことが認められる。尚<証拠略>中には被控訴人らが機動隊員に暴行された旨及び移送の際警察官に顔写真を写された旨の供述部分があるが、前記認定事実及び後記二の理由で措信できない。

二  学生らの供述について

1  被控訴人八十島への暴行

被控訴人八十島は、原審の昭和五一年九月一七日付準備書面において階段踊場で看守中楯を持った機動隊員の後方にいた機動隊員に半長靴で足蹴りされ、軍手をはめたこぶしで数回右頬を殴打されたと主張し、原審の昭和五三年一一月二四日の本人尋問においてこれに副つた供述をしていたが、原審で証拠調終了後の昭和五六年九月二五日付準備書面(最終準備書面)において、足蹴りや殴打をしたのは楯を持つた機動隊員であると主張を改めており、自分に暴行を加えた者が、前面で楯を持つている機動隊員か、その後方にいた楯を持たない機動隊員であるかあいまいでは、当初の暴行を受けた旨の記憶自体確実なものであつたかどうか疑問があるといわねばならない。

又被控訴人らは原審で「国文学研究室横において、二人の機動隊員に腕をとられたまま膝や靴で臀部や大腿部を何度も強く蹴られた。この際、最も激しく暴行を加えていたのは紺色ヘルメツト、紺色上下服、黒の半長靴で身長一七五センチメートル、丸顔でがつちりした体格で『カワカミ』と呼ばれていた隊員であつた」と主張し、前記野瀬は被控訴人八十島を蹴つていた一人の機動隊員が同僚から「カワカミ」と呼ばれて返事していたこと、「カワカミ」は背は八十島より高くて丸顔でがつちりした体格であつた旨証言しているが、当審証人川上清の証言によれば、当時出動した隊員で「カワカミ」姓は同証人のみであること、同人は当時機動隊第二小隊に所属し、法文学部一階出入口附近の警戒についていて、国文学研究室、文科自治会室がある法文学部二階には出動していなかつたこと、同人は身長は一六八センチメートル、体重六二キログラム、面長の人物であることが認められるから、右野瀬証言は措信できない。

2  被控訴人久田への暴行

被控訴人久田は、原審の昭和五四年三月二日の本人尋問において、階段横で看守されている時、楯を持たない機動隊員にヘルメツトをむしり取られた上、右頬を数回こぶしで殴打され、抗議すると楯を持つた機動隊員に楯の下から右足ふくらはぎを数回蹴られたと供述しているが、当審の昭和六一年四月二八日の本人尋問では、国文学研究室へ移送される際ヘルメツトをかぶつていたかどうか記憶があいまいである旨答えている。ヘルメツトに関しては前記一、8の認定のとおり、移送される際もかぶつていたと認められるから、ヘルメツトをむしり取られた旨の部分は誤りであり、従つて暴行に関する部分の供述の信用性にも疑いが生ずる。

3  被控訴人堀川への暴行

被控訴人堀川は、原審における本人尋問の際、はいていた革靴の上に楯を打ち落された旨供述しているので、その場合の受傷程度を検討するに、成立に争いのない乙第一二号証の二(金沢医科大学教授井上徳治が革靴と同種の靴を着用した足指部に楯を靴底部の上方二〇センチ、三〇センチ、四〇センチの各位置から垂直に自然落下させた場合、作業する人物A身長一七三センチ、体重七一キロ、年齢二七歳、B身長一六九センチ、体重七二キロ、年齢二六歳、C身長一六五センチ、体重六四キロ、年齢二九歳、以上A、B、Cが楯正面の構えから通常動作並びに強制落下させた場合において、足指部が受ける負傷状況及び負傷程度について作成した鑑定書)によれば

(一) 強制落下の場合、衝撃力が弱い高さ二〇センチで、Cの人物により落下させた場合であつても、足指部の皮膚の裂傷、腱、骨膜の挫滅、指骨の完全骨折が生じ、全治期間は二ないし三ヶ月或いはそれ以上要すると推測されること

(二) 通常動作の場合、同じく衝撃力が弱い二〇センチでCの人物により落下させた場合であつても、足指部における負傷程度は衝撃力が強いAが四〇センチで自由落下させた場合の負傷程度である皮下、腱、骨膜の出血程度とほぼ近似し、全治期間は二ないし三週間位と推測されること、

(三) 自由落下の場合は、強制落下の衝撃力を一としたとき〇・三五に減弱されること

が認められる。従つて、被控訴人堀川の供述どおり、機動隊員が楯を垂直に左足の上に叩きつけたとすれば、少なくとも全治二ヶ月程度の重傷を負うものと認められるのに、<証拠略>によれば、加療一週間を要する左第一趾挫創の傷害とされており、被控訴人堀川の供述には疑問があつて採用できない。

尚被控訴人らは、右鑑定書は<1>本件暴行時の外力の大きさが立証されていないこと、<2>鑑定書の前提とした外力の方向が本件暴行時の方向と同一であるか不明であること<3>被控訴人堀川が着用していた履物が革靴又はズツク以外のものでなかつたことが立証されていないから信用性がないというが、本件において被控訴人堀川自身、垂直に力いつぱい楯を叩きつけられた、履いていた靴は革靴である旨供述しているから右反論は採用できない。

又被控訴人堀川は、原審の昭和五一年九月一七日付準備書面において、国文学研究室横に連れて来られた際「どうしてこんなひどいことをするんだ」と抗議したところ、機動隊員がいきなり左手の親指をこちらに向けて口を水平打ちした旨主張し、原審の昭和五四年一二月七日の本人尋問において口を水平打ちされた旨供述しているが、同人の供述する暴行の態様自体極めて不自然であつて措信し難い。

第三  被控訴人らの請求原因及び控訴人らの抗弁に対する判断

一  右認定の事実関係によると、本訴各請求中、機動隊員による不法監禁を原因とする部分は当該監禁の事実自体認めることができないので、その余の点の判断をなすまでもなく理由がない。

二  請求原因のうち、機動隊員による暴行及び傷害の点については、前記第二、一、14のとおり、本件捜索差押終了後、被控訴人らがそれぞれ傷害を受けた事実が認められるが、右傷害が機動隊員らの暴行により生じたと認めるに足る証拠がなく、前記認定事実(第一、5、(二〇)、第二、一、5)によれば、被控訴人らは機動隊員が本件捜索差押を実施するため、妨害をしていた被控訴人ら学生らを北側階段踊場に排除し看守中、ヘルメツトを破つたまま楯に体当りや頭突きをし、又楯を足蹴りする等して激しく抵抗し、文科自治会室方向に飛び出そうとした事実が認められ、前記の傷の中には、楯とかヘルメツトなど何か硬い物体に当つたようなものがあるうえ、その程度も約一週間と比較的軽微なことと考えあわせると、右排除及び看守の過程において警察側の実力行使と被控訴人らの抵抗行動により前記の受傷が発生したことが推認され、受傷の事実から直ちに機動隊員の手拳または足による故意の暴行があつたものと推定することはできない。

三  控訴人らの抗弁と被控訴人らの反論について

控訴人らは、仮に被控訴人らが被つた傷害が機動隊員による学生らの排除あるいは看守の行為によつて生じたものとしても、刑訴法二二二条、一一二条に基づく適法な排除ないし看守行為それ自体又は右に通常随伴するところの許容範囲内における実力の行使により生じたものであるから、その違法性は阻却されるべきものであると主張するので以下検討する。

1  刑訴法二二二条一項・一一二条の解釈

捜索差押令状の執行中には、立会人以外の者が許可なく執行場所に出入りすることは許されず、これに従わない者を直ちに退去させ、又は執行が終わるまでこれに看守者を付することができる(刑事訴訟法二二二条一項・一一二条)ところ、出入禁止場所は原則として令状に記載されている特定の場所自体をいうのであるが、具体的事情のもとでは、捜索差押令状の執行に対する障害を防止するため、必要最小限の範囲において、執行の対象として特定された場所以外の一定区域についても必要な措置をとることができるし、更に「出入禁止に従わない者」に対してはこれを退去させることができ、更に必要がある場合は実力を行使することができるものと解され、右実力行使については、これに名を借りて相手方に故意に暴力を振るつたりすることは許されず、実力行使は看守の目的達成に必要な限度に限られ、しかも社会通念上相当と認められる態様でなければならないと解される。

2  本件捜索に伴う排除の必要性

前記認定(原判決二四枚目表一〇行目から原判決二六枚目裏八行目まで及び前記第一、3ないし5)のとおり、被控訴人らを含む学生約一〇名が進藤学部長、丹保課長の通告及び警告にも応じず、原判決添付別紙図面(一)の<1>地点において捜索場所である文科自治会室の入口を塞ぐような状態で捜索を妨害していたため、捜索を実施するためには、刑訴法二二二条一項、一一二条に基づき、機動隊員が学生らを入口附近から排除し、再び妨害されないよう看守せざるを得なかつたものと認められる。被控訴人らは、被控訴人らが本件捜索差押を受忍しようとしていたもので、本件においては同法同条の要件を充たしていないというが、前記認定のとおりの事実関係であつて、被控訴人らの右主張は理由がない。

3  看守態様

前記認定(第二、一、2ないし6・8・11)のとおり、北側階段踊場では当初一〇名の機動隊員がおおむね二列になり、前列の隊員は原判決添付図面(二)の<え>線上に楯を床に降ろして所持し、後列の隊員は前列の隊員の肩や腰部分を支えて看守し、ついで同看守場所が危険になつたので学生らを一人一人両腕を抱えて国文学研究室前付近(別紙図面(三)表示)に移動し、同所において、学生を国文学研究室の壁添いに並ばせ、学生らを移送した機動隊員が楯を前面にし、これを床につけて廊下を塞ぐような態勢で学生らと若干距離をおく形で看守していたもので、その態勢も看守の目的達成に必要なものであつて社会通念上も相当なものと解される。被控訴人らは、機動隊に階段踊場で身動きのできない状態にされた等と主張するが、そのような事実は認められず、理由がない。

そうすると、仮に被控訴人らの受傷が機動隊員による学生らの排除あるいは看守の行為によつて生じたものとしても、それは刑訴法二二二条、一一二条に基づく適法な排除ないし看守行為それ自体又は右に通常随伴するところの許容範囲内における実力の行使により生じたものであるから、その違法性は阻却されるべきもので、控訴人らの抗弁は理由がある。

四  被控訴人らの反論について

1  捜索場所が特定されておらず、本件捜索差押は違法であるとの被控訴人らの主張について

差押令状または捜索令状における押収または捜索すべき場所の表示は、合理的に解釈してその場所を特定しうる程度に記載することを必要とするとともに、その程度の記載があれば足りると解されているところ(最決昭和三〇年一一月二二日刑集九巻一二号二四八四頁)、前記認定事実(原判決二〇枚目表末行から裏三行目まで)によれば、本件令状の捜索場所の記載が「文化自治会室」となつていることが、認められるが、捜索すべき場所の表示として「金沢大学法文学部二階」とも記載されており、しかも同階には文科自治会室の他に文化自治会室は存在しないのであるから、右記載は文科自治会室を意味することが明らかで捜索場所の記載としては十分特定されているものであり、被控訴人らの主張は理由がない。

2  本件捜索差押はその必要性がないのに、被控訴人らの面通し、顔写真の撮影、手首の検査をなし、公務執行妨害、被拘禁者奪取被疑事件の被疑者を捜索する意図の下になされたもので違法であるとの被控訴人らの主張について

(捜索の必要性)

本件捜索差押は甚右衛門坂下で発生した公務執行妨害、被拘禁者奪取被疑事件につき右犯行が金大文科自治会室を拠点とする金大革マル派学生の犯行と思料されたことから早急に右被疑事件の証拠を収集するため、文科自治会室を捜索し、本件犯行に使用したと認められる鉄パイプ、竹棒及び手錠を押収することを目的として行われたもので、捜索の必要性があること明らかであり、その必要性がなかつたとの被控訴人らの主張は採用できない。

(面通し)

面通しとは、容疑者などを確認するために関係者が実際にその人の顔を見ることを意味するところ、被控訴人らは面通しをされたと主張するが、本件公務執行妨害、被拘禁者奪取被疑者の顔を見知つている者は香林坊派出所勤務の警察官であるところ、この者らが本件捜索現場に同行していた証拠はないから右主張は採用できない。

(写真撮影)

憲法一三条は、国民の私生活上の自由が警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定し、警察官が正当な理由もないのに、個人の容ぼう・姿態を撮影することは、本条の趣旨に反し、許されないが、右の自由も国家権力の行使から無制限に保護されるわけでなく、公共の福祉のため必要のある場合には相当の制限を受けることは同条の規定に照して明らかである。そして、犯罪の捜査は公共の福祉のため警察に与えられた国家作用の一つであり、警察にはこれを遂行すべき責務があるのであるから(警察法二条一項参照)、身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影を規定した刑訴法二一八条二項のような場合のほか、例えば、現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であつて、証拠保全の必要性及び緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれるときには、撮影される本人の同意がなく、また裁判官の令状がなくとも、警察官による個人の容ぼう等の撮影が許容されるものと解され(最判昭和四四年一二月二四日刑集二三巻一号(編注・一二号の誤りか。)一六二五頁)、従つて、また警察官が逮捕状の執行に際し、多数の者が逮捕状執行者を取り囲んで抗議し、混乱状態となり、今まさに公務執行妨害罪に発展する可能性があると思料される状況につき、証拠を保全するために、被撮影者に対して強制を加えることなく、現場の状況写真を撮影することは適法な職務行為である(大阪高判昭和四〇年三月三〇日高刑一八巻二号一四〇頁)と解するのが相当である。以上のように、警察には犯罪捜査の責務があるから、犯罪が行なわれたと客観的に思料される状況が発生したときは、その犯行または犯行後間もない状況を、また犯行がまさにおこなわれようとしている場合であつて、犯行を待つて写真撮影しても、状況が変化し証拠保全の目的を達成することが困難と判断される場合は、犯行直前の状況を証拠保全の目的から写真撮影することは、公共の福祉を目的とした行為というべく、右証拠保全につき具体的状況のもとで必要性、緊急性があり、撮影方法も相当であれば、本人の同意がなく、又裁判官の令状がなくても、犯行状況の一部として個人の容ぼう等を警察官が撮影することは許容されるものと解すべきである。

これを本件についてみるに、前記認定事実によると、昭和五一年三月一九日警察官が鉄パイプを所持していた学生風の男を軽犯罪法違反の現行犯人として逮捕しようとして左手に片手錠をし、更に両手錠をしようとしたところ金大構内から三名の学生風の男が走つてきて、竹棒を振りまわし、右被疑者を奪取して金大構内に逃走するという公務執行妨害、被拘禁者奪取事件が発生したこと、軽犯罪法違反被疑者が所持していた鉄パイプは革マル派の活動家が日頃用いていたものに酷似していたうえ、右被疑者を奪取した男達は金大構内から出て来てまた同構内へ逃走したことなどから、同派の拠点となつていた金大法文学部文科自治会室を捜索し、証拠物の押収が必要と思料され、警察部隊が同月二〇日午前一時すぎ本件の捜索に赴いたところ、深夜にもかかわらず、被控訴人ら学生一〇名がヘルメツトにタオルやマスクで覆面をしてシユプレヒコールをあげるなどして捜索を妨害したこと、そのため機動隊員が学生を北側階段踊場まで排除し、その場で看守して、文科自治会室の捜索を開始したこと、学生らは排除の際その場を動かないよう抵抗し、看守されている間は大声をあげ、機動隊員の楯に体当りや頭突きをし、足蹴りをする等の暴行を加えたのみならず、一団となつて文科自治会室方向に飛び出そうとする勢を示したので、危険と判断して機動隊員が学生らを一人一人国文学研究室前付近に移送しようとしたが、その際も学生らは学生集団から引き出されないよう抵抗し、又移送される時も足をバタつかせ、手をふりほどこうとしたり、文科自治会室方向に行こうとして抵抗していたこと、採証検挙班の写真要員であつた金沢東警察署勤務の北井栄一巡査部長が、捜索の妨害状況、看守の際の状況に引続き、前記の経過から公務執行妨害に及ぶ蓋然性が高いと判断し、引き続き学生らの移送状況を夜間のためフラツシユをたいて撮影したが、その方法も学生らに特別な受忍義務を負わせるようなものではなかつたことが明らかである。従つて、そのころは、被疑者奪取に関する公務執行妨害、被拘禁者奪取各罪の犯罪発生後で差程時間は経過しておらず、更に捜索差押令状執行の際の公務執行妨害罪が今まさに敢行されようとしていた(むしろ機動隊員の楯に体当り等を始めた時点で成立したといえる)状況にあつたというべく、右各犯罪発生またはその蓋然性を確知した警察官としては、右各犯罪捜査のため、右犯行状況について証拠保全をする責務があつたといわねばならない。しかも、当時の混乱した現場において多数の者の状況が刻々と変化する点からいつて証拠保全の必要性および緊急性が認められ、その方法も一般的に許容される限度をこえない相当なものであつたと認められるから、右写真撮影は被控訴人ら学生の同意がなくても許容されるというべきである。

(手首の調査)

警察官職務執行法二条一項には「警察官は異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知つていると認められる者を停止させて質問することができる。」と規定されているところ、任意捜査における有形力の行使は、強制手段すなわち個人の意思を制圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段にわたらない限り、必要性、緊急性などをも考慮したうえ、具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容されると解される(最決昭和五一年三月一六日刑集三〇巻二号一八七頁)。右任意捜査における有形力の行使が許容される基準は職務質問に伴う有形力の行使についても妥当すると解される。

これを本件についてみると、写真撮影の際検討したとおり、本件の公務執行妨害・被拘禁者奪取事件の捜査のため革マル派の拠点となつていた金大法文学部文科自治会室を捜索し、証拠物の押収が必要と思料され、警察部隊が本件の捜索に赴いたところ、深夜にもかかわらず、被控訴人ら学生約一〇名がヘルメツトにタオルやマスクで覆面をしてシユプレヒコールをあげるなどして捜索を妨害したこと、被控訴人ら学生の中に前記事件の被疑者及び右事件に知識を有する者がいる疑いが極めて強かつたので、警察官は職務質問を実施しようとしたが、学生らは大声でシユプレヒコールをあげ排除の際もその場を動こうとせず、看守の際も看守に当たつた警察官の楯に体当たりするなどし、職務質問を行える状態ではなかつたこと、そのため学生らを一人一人移送する際、警察官が職務質問の一環として、被控訴人ら学生の手首付近に手錠又は手錠痕がないか調べたもので、右警察官の行為についてその必要性及び緊急性が認められる反面、右調査の態様は、若干袖を上げて、手首を調べた程度であるから、これによる法益の侵害はさほど大きなものではなく、上記の経過に照らせば相当と認めうる範囲を越えるものとは認められないから、警職法二条一項の職務質問の一環として許容されるというべきである。そうすると被控訴人らの反論はいずれも理由がない。

第四  結論

以上の次第で、被控訴人らの本訴請求を一部認容した原判決は相当でないので、原判決中控訴人ら敗訴の部分を取り消したうえ、同部分について被控訴人らの請求を棄却し、本件附帯控訴を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 井上孝一 紙浦健二 大工強)

別紙図面(一)<省略>

別紙図面(二)<省略>

別紙図面(三)<省略>

〔参考〕第一審(金沢地裁 昭和五一年(ワ)第八一号 昭和五八年一月二八日判決)

主文

一 被告らは各自、原告八十島元一に対し金五万三九五〇円、同久田友恒に対し金五万三一六〇円、同堀川恭偉に対し金五万四三九〇円及び右各金員に対する昭和五一年三月二一日以降各完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三 訴訟費用は、これを三分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

1 被告らは各自、原告八十島元一に対し金一五万三九五〇円、同久田友恒に対し金一五万三一六〇円、同堀川恭偉に対し金一五万四三九〇円及び右各金員に対する昭和五一年三月二一日以降各完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

3 第1項につき仮執行宣言

二 請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

3 仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一 請求原因

1 石川県警察本部機動隊員による加害行為

(一) 加害行為に至るまでの経緯

(1) 石川県警察本部(以下「県警本部」という。)長及び金沢中警察署(以下「中署」という。)長は、昭和五一年三月二〇日午前一時ころから、県警本部及び中署所属の多数の警察官を動員して、金沢市丸の内一丁目一番地所在の金沢大学(以下「金大」という。)法文学部校舎二階の文科自治会室(別紙図面(一)表示)において捜索差押(以下「本件捜索差押」という。)をした。

(2) 本件捜索差押の着手に至る状況は次のとおりである。

(ア) 昭和五一年三月二〇日午前一時ころ、本件捜索差押をなすため、右の警察官らが、当時の金大法文学部進藤学部長、同三代川教務委員長及び同橋本学生係長を先頭にして同学部校舎二階の廊下に至つた。

(イ) 右警察官のうち機動隊員は、ヘルメツト、紺色上下出動服、軍手及び籠手を着用し、半長靴をはき、楯、輪状にしたロープあるいはエンジンカツターを携える重装備であつた。

(ウ) 文科自治会室付近にいた原告らを含む約一〇名の学生は、右警察官らが同室の捜索に赴いたものと予測するとともに右捜索は大学の自治活動を侵害あるいは弾圧するものであると考え、同室前廊下においてスクラムを組み、シユプレヒコールをあげてこれに抗議した。

(エ) 右警察官らと学生らとが一定の距離を隔てて対峙した後、前記進藤学部長が携帯用マイクで学生らに対し本件捜索差押に協力するよう要請した、学生らとしては、ことさら物理的に本件捜索差押を妨害する意図を有していたわけではなかつたので、同日午後一時過ぎころに至り、訴外野瀬慶一郎(以下「野瀬」という。)が、学生らの代表として、警察側に対し、本件捜索差押につき同人を立会人として認めること及び本件捜索差押の許可状(以下「本件令状」という。)を呈示することを要求し、もつて、本件捜索差押を受忍する態度を示した。これに対し、警察側責任者でその当時県警本部警備課長であつた丹保仁吾郎(以下「丹保課長」という。)は野瀬がその住所氏名を明示することを条件に同人を立会人とすることを認めたので、同人は、その住所氏名を書面に記載してこれを明らかにした。野瀬は、その後引き続いて呈示された本件令状の捜索場所の記載が、正しくは「文科自治会室」であるのに「文化自治会室」と誤記されていたので、直ちに、本件令状は無効ではないかとの疑義を表明した。すると、そばにいた私服の警察官が野瀬に対し、「うるさい」と怒鳴り、同人を突き倒そうとし、またその直後警察官らの中から「うるさい。排除せよ。」との声が飛び、引き続き、私服の警察官の後ろに待機していた機動隊員数名が、縦約一二〇センチメートル、横約五〇センチメートルのジユラルミン製楯を前面に構えて進出し、右楯で野瀬を含め無抵抗の学生ら全員を金大法文学部校舎二階の北側階段踊場(別紙図面(一)表示)まで押していつた。その後警察官らは本件捜索差押に着手した。

(二) 原告らに対する不法監禁

前記踊場において、最前列には楯を持つた五人程の機動隊員が、その後ろには楯を持たない機動隊員が、さらにその後ろには多数の私服の警察官がそれぞれ位置して、原告ら学生達をとり囲んだうえ、最前列の機動隊員においては、楯で学生らを強く壁側に押し付け身動きできない状態にし、もつて、同日午前一時一〇分ころから午前一時二〇分ころまで、原告らをその場に不法に監禁した。

(三) 原告らに対する暴行及び障害

(1) 原告八十島関係

(ア) 前記監禁中に、楯を持つた機動隊員の後ろにいた機動隊員において、故意に同原告に対し、半長靴で足蹴にし、軍手をはめたこぶしで右ほほを数回殴打する暴行を加えた。

(イ) その後前記監禁を解かれ、同原告は、二人の機動隊員に前記校舎二階の国文学研究室(別紙図面(一)表示)方向へ連行されたが、その途中、右機動隊員の一人において、故意に同原告に対し、右ふくらはぎを半長靴で足蹴にし、大腿部を三回ほど膝で蹴りあげる暴行を加えた。

(ウ) さらに、右国文学研究室横において、右二人の機動隊員は、故意に同原告に対し、その腕をとつたまま膝や靴で臀部、大腿部を数回にわたり強く蹴る暴行を加えた。

(エ) 同原告は、右一連の暴行により、加療約五日間を要する左大腿部打撲傷(内出血)の傷害を受けた。

(2) 原告久田関係

(ア) 前記監禁中機動隊員において、故意に同原告に対し、軍手をはめたこぶしで右ほほや右側頭部を殴打する暴行を加え、同原告がこれに抗議するや、さらにその後ろにいた機動隊員が、故意に同原告に対し、半長靴で右膝後部や右ふくらはぎ外側を強く足蹴にする暴行をなした。

(イ) その後前記監禁を解かれ、同原告は、二人の機動隊員に左右から両腕を抱え込まれ、前記校舎内の二四号教室(別紙図面(一)表示)横の廊下付近まで連行されたが、同所において、右機動隊員の一人が、故意に同原告に対し、後ろから一回頭を押して顔の右側を壁に打ちつけ、さらに三、四回平手で後頭部を強く押し、さらに、軍手及び籠手をつけたこぶしで左ほほを殴打する暴行を加えた。

(ウ) その後、同原告は英文学研究室(別紙図面(一)表示)の横まで連行されたが、そこでも機動隊員が、故意に同原告に対し、頭を押さえ込み膝で腹及び顔面を、蹴る暴行を加えた。

(エ) 同原告は、右一連の暴行により、加療一週間を要する右目、右膝関節打撲症の傷害を受けた。

(3) 原告堀川関係

(ア) 前記監禁中、機動隊員が、故意に同原告に対し、手に持つた楯を垂直に足の上に叩きつける暴行を加えた。

(イ) その後前記監禁を解かれ、機動隊員に国文学研究室の廊下まで連行されて壁の方を向いて立たされたが、同原告においてその機動隊員に対し、「なんでこんなひどいことをするのか。」と抗議するや右機動隊員は、いきなり故意に同原告に対し、左手の親指でもつて口部を強く殴打する暴行を加えた。

(ウ) 同原告は、右一連の暴行により、加療一週間を要する上口唇、左第一趾挫創の傷害を受けた。

2 被告らの責任

前記不法監禁及び暴行の加害行為をなした機動隊員はいずれも、被告石川県の公権力の行使に当たる公務員であるから、同被告は国家賠償法一条一項により、また、被告国は、法令により都道府県警察の経費を負担するものであるから、国家賠償法三条一項により、それぞれ前記機動隊員の違法な加害行為によつて原告らが被つた損害を賠償すべき責任がある。

3 損害

(一) 治療費

前記傷害の治療費として、原告八十島は金三九五〇円、同久田は金三一六〇円、同堀川は金四三九〇円の各支払を余儀なくされたので、原告らは右同額の損害をそれぞれ被つた。

(二) 慰藉料

前記各加害行為による精神的苦痛を慰藉するための慰藉料の額は、原告ら各自につきそれぞれ金一五万円が相当である。

4 よつて、被告ら各自に対し、原告八十島は前記3の合計金一五万三九五〇円、同久田は同金一五万三一六〇円、同堀川は同金一五万四三九〇円及び右各金員に対する前記不法行為の日の後である昭和五一年三月二一日以降各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二 請求原因に対する認否及び主張(被告ら)

1 請求原因1項について

(一)(1) 同項(一)の(1)の事実は認める。

(2) 同項(一)の(2)の(ア)の事実は認める。同(イ)の事実中、エンジンカツターを携行したこと及び重装備であつたことは否認し、その余の点は認める。同(ウ)の事実中、文科自治会室前廊下で原告らを含む学生約一〇名がスクラムを組みシユプレヒコールをあげていたことは認め、その余の点は争う。同(エ)の事実中、警察官らと学生らが対峙した後進藤学部長が携帯用マイクで学生らに対し捜索の開始を告げて協力要請をしたこと、昭和五一年三月二〇日午前一時過ぎころ学生らを代表して野瀬が捜索の立会と本件令状の呈示を要求したこと、丹保課長が野瀬の立会を認めたこと、その際同課長が野瀬をしてその住所氏名を書面に記載せしめたこと、本件令状の捜索場所の記載が「文化自治会室」となつていたこと、機動隊員が学生を北側階段踊場まで押していつたこと、捜索差押担当の警察官らが本件捜索差押に着手したことは認め、その余の点は否認する。

(3) 本件捜索差押の着手に至るまでの状況は次のとおりである。

本件捜索差押を実施するために、警察官らが進藤学部長の案内によつて法文学部校舎二階の二五号教室(別紙図面(一)表示)前に到着したところ、ヘルメツトを被り、タオルやマスクで覆面をした原告らを含む学生約一〇名が、廊下にほぼ三列横隊に並び、右警察官らが文科自治会室へ入室するのを阻止しようとして、一部はスクラムを組み、大部分の者は右手こぶしを上にあげながら、「警察導入反対」、「不当捜索糾弾」、「謀略弾圧反対」、「機動隊弾圧糾弾」等のシユプレヒコールをあげた。その際の学生らの先頭の位置は別紙図面(一)の<1>地点であり、警察官の先頭の位置は同図面の<イ>地点であつたので、学生らを排除しなければ捜索場所である文科自治会室へ入室できない状況であつた。このため進藤学部長が、同図面<A>地点から携帯用マイクで学生らに対し捜索を妨害しないで通路を開けるよう二、三回くり返して要請したが、学生らはこれを聞き入れず、スクラムを組みシユプレヒコールをあげて妨害を続けた。しばらくして、学生らの中から代表とみられる男(野瀬)が進み出て、警察側に捜索の立会及び本件令状の呈示を要求した、丹保課長は、学生代表とみられるこの男に立会をさせ、令状を呈示すれば、学生らの妨害もなくなり、円滑に捜索ができるであろうし、また、捜索差押の公正、妥当性も担保できると考えて、野瀬の立会を認めることとし、同人に本件令状を呈示した。ところが、野瀬は、本件令状の捜索場所が「文化自治会室」と記載されていることにかこつけて、大声で「違う、違う。」と叫びながら学生らの集団の中に戻つて行つた。他の学生もこれに同調し、スクラムを組み、大声でシユプレヒコールをあげて警察官らが文科自治会室へ入室するのを阻止した。このため丹保課長は再三再四にわたり妨害しないように警告したが、学生らはこれに応ぜず妨害を続けたため、やむなく学生らを文科自治会室前の階段踊場まで排除し、ここで看守するとともに文科自治会室の捜索を実施した。

機動隊員が排除中及び右階段踊場で看守中、学生らは、「不当捜索反対」等と大声で叫びながら機動隊員や楯を足蹴にし、楯に体当りし、あるいはヘルメツトで頭突きをしたりするなどの暴行をくり返していたものである。

(二)(1) 同項(二)及び(三)の事実中、機動隊員が学生らを排除して階段踊場で看守したこと、原告八十島及び同堀川を国文学研究室の横の廊下まで移動したこと、原告久田を英文学研究室の横の廊下まで移動したことは認め、その余の点は否認する。

(2) 右の踊場での看守態様は、排除直後においては一〇名の機動隊員がおおむね二列になり、前列の隊員は別紙図面(二)の<え>線上に楯を床に降ろして所持し、後列の隊員は前列の隊員の肩や腰部分を支えるという状態であつて、学生らが階段を利用してその場から離脱することは容易なことであつたから、右看守を目して学生らを監禁したものとするのは相当でない。しかして、学生らは、看守中においても前記のとおり、大声をあげたり機動隊員に暴行を加えたのみならず、一団となつて文科自治会室方向に飛び出そうとする勢いを示した。そのため階段近くの看守場所では危険となり、学生らを国文学研究室前付近まで移動させることにしたが、集団で移動させるのは彼我に負傷者がでるおそれがあつたので、一人一人両腕を抱えて右場所に移動し、同所において引き続き本件捜索差押を妨害されないよう看守を続けたものである。

なお、機動隊員及び捜索を実施したその他の警察官においては、原告らに対しその主張するような暴行は一切おこなつていない。仮に原告らがその主張のような傷害を受けたとしても、それは右排除あるいは看守の際に、原告らがなした前記暴行に起因するものであつて、自損行為である。

2 請求原因2項の事実中、本件捜索差押に従事した機動隊員が被告石川県の公権力の行使に当たる公務員であること及び被告国が本件に関し国家賠償法三条一項所定の費用の負担者であることは認め、被告らに賠償責任があるとの主張は争う。

3 請求原因3項の事実ないし主張は争う。

三 抗弁(被告ら)

仮に、原告らが主張する警察側の看守行為が形式的には監禁に該当し、また原告らが被つたと主張している傷害が機動隊員らによる学生らの排除あるいは看守の行為によつて生じたものとしても、前記被告らの主張事実に照らすと、右は捜索差押を実施するに際しての刑事訴訟法二二二条、一一二条に基づく適法な排除ないし看守行為それ自体又は右に通常伴うところの許容範囲内における実力の行使により生じたものであるから、その違法性は阻却されるべきものである。

四 抗弁に対する認否及び主張

1 抗弁事実は否認する。

2 なお、本件捜索差押は、以下のとおりそれ自体違法なものであるから、それに伴なう排除、看守行為の違法性が阻却される余地はない。

(一) 本件令状の捜索場所の記載は、「文科自治会室」とされるべきところ誤つて「文化自治会室」とされていた。従つて、捜索場所の特定が不十分であることとなり、本件令状は無効であるから、右令状に基づいてなされた本件捜索差押はそれ自体違法である。

(二) さらに、本件捜索差押は、本件令状に示されているとおり、公務執行妨害、被拘禁者奪取被疑事件の犯行供用物件の捜索をなすものと称してなされたものであるが、その実は、これに名を借りて本件令状の許容範囲を逸脱し、原告ら学生全員の面通し及び身体検査をなし、もつて右被疑事件の被疑者を捜索することを意図し、かつ右意図を現に実行に移したもので、この点においても違法なものである。即ち、本件捜索差押は前記被疑事件に係る犯行後七時間も経過した後になされ、またこれによつて現に差し押えられた物は半分に割れた一本の竹のみであつて、もともとそのいうところの捜索の必要性はなかつたものであるところ、重装備の機動隊員を含む九七名という大量の警察官が動員され、かつ、学生らに対しては、監禁場所から国文学研究室の横の廊下付近まで連行途中において、一人ずつその面通しや、顔写真の撮影さらに、両手首の検査等がなされたもので、右事実に鑑みれば、本件捜索差押の当初よりの目的が前記被疑事件の被疑者の捜索にあつたことは明らかであるのみならず、右のような身体の検査や写真撮影をなすためには、別に身体検査令状あるいは鑑定処分許可状が必要とされるのに、これを欠いたままそれらの行為がなされたものである。

3 また、刑事訴訟法二二二条、一一二条に基づく排除、看守行為が許されるためには、当該捜索差押場所の出入の禁止に従わない場合でなければならないところ、本件捜索差押に際し、原告らは捜索場所である文科自治会室に立ち入ろうとしたことはなく、かえつて野瀬の立会が認められたので本件捜索差押を受忍しようとしていたものである。それにも拘らず、その直後、機動隊員らによる前記監禁及び暴行、障害行為がなされたものであるから、機動隊員らの右行為は、刑事訴訟法二二二条、一一二条所定の用件をもともと具備していないものであつて、違法である。

4 仮に、前記監禁が右法条に基づく排除、看守行為としての要件を一応具備する性質のものであるとしても、その行為は妥当な範囲のものでなければならず、身体を直接拘束したり、必要な限度を越えて実力を行使するようなことがあつてはならない。原告らは、前記のとおり、機動隊に楯で囲まれ、階段踊場の壁側に強く押し込められて身動きのできない状態にされ、完全に身体の拘束を受け、なおかつ前記のとおりの暴行及び傷害を受けたものであつて、右行為は、右法条に基づくものとしても到底許容されるべきものではなく、その限度を越えた違法なものであるというべきである。

五 抗弁に対する原告らの主張に対する反論(被告ら)

1 本件捜索差押は適法になされたものである。即ち、本件令状の捜索場所の記載に原告ら主張の如き些細な誤記があることは主張のとおりであるけれども、右の故をもつて捜索場所の特定が不十分であるとは到底いえない。また、本件捜索差押は本件令状の許容範囲を何ら逸脱していない。

2 原告らの主張3項及び4項は争う。

第三証拠関係 <略>

理由

第一判断の基礎となる事実関係

一 本件捜索差押を実施するために警察部隊が金大構内に至るまでの経緯

<証拠略>を総合すれば以下の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

1 昭和五一年三月一九日午後六時三〇分前ころ、一般の人から「甚右衛門坂のところで四〇歳くらいの市民の方が、四、五名の人に殴られている。ひよつとすると内ゲバかも知れない。」との一一〇番通報があつた。

2 右通報に基づき中署香林坊派出所の警察官三名が現場に急行した。

3 同日午後六時三四分ころ、右警察官三名が現場である甚右衛門坂に到着したところ、付近に四、五名の学生風の男がいた。

4 右学生風の男達のうち三、四名はその付近所在の尾崎神社方向へ逃走したので警察官一名が追跡したが見失なつた。

5 残り一名の学生風の男は、職務質問に対し、黙秘したまま金大構内の方へ逃走したので、警察官二名が追跡して肩に手をかけたところ、同人が着ていたコートの下から鉄パイプが落ちた。

6 警察官二名は、右の男を軽犯罪法違反の現行犯人として逮捕しようとして同人の左手に片手錠をし、さらに両手錠をしようとしたところへ、金大構内の方向から三名の学生風の男が走つてきて、うち一名は竹棒を振り回し、警察官がひるんだすきに他の二名が警察官から右軽犯罪法違反被疑者を奪取して金大構内へ逃走した。

7 他方、前記1のとおり市民から一一〇番通報があつた直後の同日午後六時三〇分ころ、県警本部の通信指令室から中署の当直員に対し、右通報があつたので現場へ急行せよとの指令がなされた。

8 当直員から右の連絡を受けた蔵警部は直ちに中署署長に右の事態を報告し、当直員三名とともに現場へ急行した。

9 同日午後六時四〇分ころ、現場に到着した蔵警部は、すでに現場に来ていた前記三名の警察官から前記3ないし6のとおりの報告を受けた。

10 蔵警部らは、前記軽犯罪法違反被疑者が遺留した鉄パイプを領置した。

11 蔵警部は軽犯罪法違反、被拘禁者奪取及び公務執行妨害各被疑事件で金大構内を捜索する必要があると判断したが、日はすでに暮れて真暗でもあり、また現場にいる七名の警察官で金大構内を捜索しても目的が達せられないと考え、一旦中署に引き揚げて同署署長に右の状況を報告した。

12 同署長は直ちに同署幹部を集めて捜査会議を開いた。

13 その結果、右領置した鉄パイプは日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(以下「革マル派」という。)の活動家が日頃用いていたものに酷似していたこと、前記軽犯罪法違反被疑者を奪取した男達は金大構内から出て来てまた同構内へ逃走したことなどから、同派の拠点となつていた金大法文学部文科自治会室の捜索が必要と判断された。

14 右に基づき同日午後九時をかなり回つた後に中署の中尾進警部が金沢地方裁判所に本件令状の発付を請求した。

15 右請求に基づき、同日金沢地方裁判所裁判官は本件令状(三名の氏名不祥の被疑者に対する公務執行妨害及び被拘禁者奪取被疑事件について金大法文学部二階文化自治会室を捜索し、手錠並びに右被疑事件に使用した鉄パイプ及び竹棒を差し押さえることを許可する捜索差押許可状)を発付した。

16 右に伴ない、中署では署長を責任者とする計九七名の捜索差押部隊を編成した。

17 右部隊のうち私服の警察官は、現場の最高責任者であつた丹保課長、蔵警部を班長とする捜索差押班一六名及び右以外の警察官で組織された採証検挙班二五名の計四二名であつた。

18 捜索差押班の任務は、捜索場所である文科自治会室の中において、差押えるべきもの、即ち手錠、鉄パイプ及び竹棒を発見し、これを差押えること及び本件令状請求に係る被疑事件の被疑者らを発見することであつた。

19 採証検挙班の任務は、本件捜索差押にあたつて予想される諸々の妨害行為あるいは違法行為等の立証に資するために写真撮影をすること及び右の行為等がなされた場合にその行為者を検挙することであつた。

20 警察部隊のうち機動隊は援護実施班を構成し、第一小隊二四名、第二小隊二九名に岡橋勇隊長(以下「岡橋隊長」という。)及び漆原伸秀副隊長(以下「漆原副隊長」という。)を加えた計五五名であつた。

21 右のうち第一小隊は捜索場所である文科自治会室付近の警戒に、第二小隊は法文学部校舎の周辺や入口付近における警戒にあたり、いずれも、捜索する際に、妨害行為をする者がいた場合にこれを退去させたり、物理的な作業を要する場合に必要な措置を講じるなどして、本件捜索差押が順調になされるように援護することがその任務であつた。

22 右の機動隊員らは、紺色の出動服上下を着て、警備靴をはき、紺色のヘルメツトを被り、約半数の者は、ジユラルミン製の防護楯(長さ約一・一メートル、幅約〇・六メートル、以下単に「楯」という。)を携帯していた。

23 本件捜索差押に出動するに際し中署署長は私服の警察官全員及び機動隊の幹部に対し、おおむね「(1)夜間の執行であるから彼我にけが人のないよう沈着に行動するとともに、指示命令は簡潔明瞭に行ない部下は命令に徹すること。(2)相手側の妨害も予想されるが絶対にこれに巻き込まれないようにすること。(3)捜索は徹底して行ない被疑者並びに差押えるべきものの発見に全力をあげること。」の三点にわたり指示を与えた。

24 援護実施班の班長であつた岡橋隊長は、右指示を受けて機動隊員全員に対し、おおむね「機動隊は捜索差押の援護にあたるが、夜間に広大な金大構内に入り、また革マル派の妨害も予想されるので双方にけがのないようにするため指揮に従つて冷静かつ沈着に警備活動に従事してほしい。」という指示をした。

二 機動隊によつて学生らが金大法文学部校舎二階の北側階段踊場に排除されるまでの経緯

1 県警本部長及び中署署長が、昭和五一年三月二〇日、県警本部及び中署所属の多数の警察官を動員して、本件捜索差押を行なつたこと、同日午前一時ころ、警察部隊は進藤学部長、三代川教務委員長及び橋本学生係長を先頭にして金大法文学部校舎の二階廊下に至つたこと、機動隊員はヘルメツト、紺色上下出動服、軍手及び籠手を着用し、半長靴をはき、楯及ぶ輪状にしたロープを携行したこと、文科自治会室前廊下で原告らを含む学生約一〇名がスクラムを組みシユプレヒコールをあげていたこと、警察官らと学生らが対峙した後、進藤学部長が携帯用マイクで学生らに対し捜索の開始を告げて協力要請をしたこと、同日午前一時過ぎころ、学生らを代表して野瀬が捜索の立会と本件令状の呈示を要求したこと、右野瀬の立会を丹保課長が認め、野瀬は自身の住所氏名を明らかにしたこと、右令状の捜索場所の記載が「文化自治会室」となつていたこと、機動隊員が学生らを階段踊場まで押していつたこと、捜索差押担当の警察官らが捜索差押に着手したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

2 <証拠略>を総合すると以下の事実が認められ、<証拠略>中右認定に反する部分はたやすく措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 昭和五一年三月二〇日午前一時七、八分ころ、警察部隊が金大法文学部校舎入口付近に到着したところ、進藤学部長ら三、四名の学校関係者がいたので蔵警部が進藤学部長に本件令状を呈示した。

(二) 警察部隊のうち機動隊第二小隊(小隊長以下二九名)は法文学部校舎の一階各出入口の警戒にあたつた。

(三) その後、進藤学部長が先頭に立ち、蔵警部、丹保課長、私服の警察官及び機動隊(岡橋隊長、漆原副隊長及び第一小隊二四名の計二六名)が続いて別紙図面(一)の<あ>表示の階段から法文学部校舎の二階へ上がり文科自治会室の方向へ進んで行つた。

(四) 文科自治会室の手前の廊下には、その大部分の者はヘルメツトを被り、かつタオルやマスクで覆面をした原告らを含む学生約一〇名が、別紙図面(二)の<1>表示の場所付近を先頭にして横にほぼ三列になり、一部の者がスクラムを組み、他は「警察導入反対」、「不当捜索反対」等のシユプレヒコールをあげて本件捜索差押に抗議する態度を示していた。

(五) 原告八十島は右学生集団のうち一列目か二列目に、同久田及び同堀川は三列目に位置していた。

(六) 警察部隊は別紙図面(二)の<イ>表示の場所付近を先頭にして停止し、学生らと相対峙した。

(七) 右のとおりであるから、警察部隊が文科自治会室での捜索差押を行なうためには学生らの協力を得るか、学生らを排除するかしなければならない状況であつた。

(八) そこで、進藤学部長が別紙図面(二)の<A>表示の場所付近から携帯用マイクで学生らに対し、本件捜索差押に協力するよう要請したが学生らはシユプレヒコールをくり返し、依然として捜索差押に抗議する態度を持していた。

(九) その後間もなく、学生らを代表して野瀬が別紙図面(二)の<2>表示の場所付近に進み出て、警察側に対し本件捜索差押の同人を立会人として認めること及び本件令状の呈示とを要求したので、警察側も蔵警部が別紙図面(二)の<ロ>表示の場所付近に進み出て野瀬と相対した。

(一〇) 野瀬が右のような行動に出たのは、同人は、右に先立つ三月一九日夜、金大学生部の次長から本件捜索差押がなされることを聞かされたので、同日の午後一二時ころに文科自治会室にいた学生らとその対処の方法を検討した結果、捜索に対し抗議の意思は表明するが、実力で抵抗すると公務執行妨害で逮捕されるおそれがあるから、実力行使して捜索を阻止するという行動はとらないこと及び文科自治会室の責任者として野瀬を捜索差押の立会人として認めさせることにしようということで、右学生らの間で意見の一致をみていたからである。

(一一) 野瀬の右要求に対し、蔵警部は、野瀬を学生の代表者と認めてこれに立会を許せば捜索差押が円滑に実施できるだろうと考えて、野瀬に対し住所氏名を明らかにすればその要求に応じると返答した。

(一二) これに対し、野瀬は、メモ用紙に住所氏名を記載して明らかにした後、蔵警部が呈示した本件令状を黙読したところ、その記載事項のうち捜索場所が、正しくは「文科自治会室」とされるべきであるのにこれと異なつて「文化自治会室」となつていたので、大声で「字が違う。」と二回ほど叫び再び学生らの中へ戻つた。

(一三) 丹保課長や蔵警部は、その当時には野瀬が何を違うと言つているのかは全くわからなかつた。

(一四) その後も学生らは依然としてシユプレヒコールをあげて捜索差押に抗議する態度をとり続け一向に退去する様子がなかつた。

(一五) そして、丹保課長が学生らに対し別紙図面(二)の<B>付近から携帯用マイクで、「ただ今から捜索を実施する。妨害をしないで通路をあけなさい。妨害を続けるならば警察部隊によつて排除することになるから通告する。」旨数回くり返して告げても、学生らは相変わらずシユプレヒコールをあげ捜索に反対する態度を示していた。

(一六) そこで丹保課長は、捜索差押を実施するためには機動隊によつて学生らを排除するほかないと考えて、岡橋隊長に対し学生らを排除するよう指示した。

(一七) 右の経緯を警察部隊の後方で観察していた機動隊の漆原副隊長は、学生らを排除するための要員として第一分隊の一〇名の機動隊員を指名していた。

(一八) 岡橋隊長から排除の指令を受けた第一分隊一〇名の機動隊員は、漆原副隊長を先頭にして警察部隊の最前列に進み出た。

(一九) 右機動隊員のうち前列の五名は楯を床から約三〇センチメートルくらいあげて両手で所持し、後列の五名は楯を持たずに前列の隊員の肩や腰に手をあて前列の隊員を後ろから支える形で二列に並び、漆原副隊長の「前へ。前へ。」という号令に合わせて前進し、学生らを後方に排除し始めた。

(二〇) 右排除の際、学生らは一部スクラムを組んだりして排除されないよう抵抗し、その場を動こうとしなかつたので、機動隊員が押してくる楯に学生らの身体や彼らが被つているヘルメツトがぶつかるなどして、「ガンガン」、「ドンドン」、「バシン、バシン」などという楯に物体が打ちあたる物音がした。

(二一) 学生らは右のとおり排除に抵抗したが、結局法文学部校舎二階北側階段踊場(別紙図面(一)(二)表示)まで排除された。

(二二) 学生らが排除されるのと併行して、警察側の捜索実施班と進藤学部長、三代川教務委員長及び橋本学生係長ら学校関係者が文科自治会室に入り、捜索差押に着手した。

三 二階北側階段踊場における機動隊員による学生らの看守状況及びその後の移動状況並びに右状況下における機動隊員による加害行為

1 <証拠略>を総合すると以下の事実が認められ、この認定に反する<証拠略>は後記2のとおりの理由でにわかに措信できず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 前期の経緯で機動隊は学生らを法文学部校舎二階の北側階段踊場まで排除し、同所において捜索差押班の警察官が文科自治会室に入るのを学生らが妨害しないように看守した。

(二) 右看守状況は、最初は一〇名の機動隊員が二列になり、前列の五名の隊員が楯を所持して学生らに接して押し、後列の隊員は前列の隊員の肩や腰を手で支えている状況であつた。

(三) 看守していた機動隊の前列の最右翼員は別紙図面(二)表示の便所入口の柱に接し、最左翼員は一階に降りる階段降り口のほぼ中央付近に位置していた。

(四) 従つて、学生らは、文科自治会室方向へ行くことは機動隊員によつて阻止されていたが、一階へ降りようと思えば自由に降りられる状況であつて、原告らが請求原因1項の(二)で主張するように身動きのできない状態で監禁されていたわけではなかつた。

(五) 原告三名はいずれも前列の機動隊員と接する位置にいて、階段に近い方に原告久田、便所の柱付近に同八十島、その中間付近に同堀川が位置していた。

(六) 右のように看守されている間も学生らは抗議の声をあげ、かつ機動隊員が楯で押してくる力に抗して文科自治会室方向へ行こうとして抵抗した。

(七) 当初五名ずつ二列になつて学生らを看守していた機動隊は、文科自治会室方向へ押してくる学生らの力が次第に強くなつたので、階段側にいた後列の機動隊員が文科自治会室側の応援にあたり、階段側の方は楯を持つた機動隊員一列が学生らに相対している状態となり、文科自治会室側の方は、楯を持つた各機動隊員の後ろを二、三名の機動隊員があと押しをする状況となつた。

(八) 右の状況を二一号教室と二二号教室(別紙図面(一)、(二)表示)との中ほどで見ていた丹保課長は、危険であると判断して機動隊の漆原副隊長に対し学生らを少し離れたところへ移動させて看守するように指示した。

(九) 学生らのうち、移動に素直に応じた者に対しては一人の機動隊員が付き添うだけで移動せしめたが、抵抗しようとする者に対しては手を後ろにねじりあげるようにして機動隊員がそれぞれ二人係りで移動させた。

(一〇) 学生らは最終的には全員国文学研究室の横の廊下に移動させられたが、その途中ほぼ全員の学生が私服の警察官によつて両手首を調べられ、また顔写真を撮影された。

(一一) 野瀬も他の学生らと同様国文学研究室の横の廊下付近まで移動させられたがその後、警察官から立会を認める旨を告げられたので、捜索の途中から文科自治会室の中に入つた。

(一二) 野瀬が文科自治会室に入つて来たとき唇から血を出していた。

(一三) 野瀬は、機動隊員が自己や他の学生らに対し暴力を振つたことについて、右入室直後蔵警部や他の警察官らに抗議したが、警察官らは全くとりあわなかつた。

(一四)(1) 原告八十島は前記看守中に機動隊員に半長靴ですねの辺を足蹴にされ、また軍手をはめたこぶしで右ほほを殴打された。

(2) さらに、機動隊員二名は、別紙図面(一)の<5>表示の場所付近まで同原告を移動した後、同所で同原告の腕を抱えてしやがみ込めないようにしたまま「革命やるんだつたらこんなことは痛くないだろう。」、「死ぬのはこわくないだろう。」と言いながら同原告の大腿部や臀部を交互にひざで蹴りあげた。

(3) 右暴行により同原告は加療約五日間を要する左右大腿部打撲傷(内出血)の傷害を受けた。

(一五)(1) 原告久田は前記看守中に機動隊員にこぶしで右ほほのあたりを二、三回殴打され、これに抗議すると別の機動隊員に楯の下から右足ふくらはぎを数回けられた。

(2) また同原告は、機動隊員二名によつて別紙図面(一)の<3>表示の場所付近まで移動させられる途中、同図面表示の二四号教室前の同<×>の場所付近で壁向きに立たされ、後ろから一人の機動隊員によつて後頭部を強く押され顔の右側を壁に打ちつけられ、これに抗議すると他の機動隊員からこぶしで左顔面を数回突かれた。さらに、英文学研究室前の同図面の[×]付所で文科自治会室の方を向いたとたん、機動隊員に頭を押えつけられて膝で腹、胸及び顔などを蹴られた。

(3) 右暴行により同原告は加療一週間を要する右目、右膝関節打撲症の傷害を受けた。

(一六)(1) 原告堀川は前記看守中、楯を持つた機動隊員にその楯を垂直に左足の上に叩きつけられた。

(2) また同原告は、別紙図面(一)の<4>表示の場所付近まで機動隊員に移動させられた後、右機動隊員に「どうしてこんなひどいことをするんだ。」と抗議をすると、その機動隊員は同原告の口部を水平に一回殴打した。

(3) 右暴行により同原告は加療一週間を要する上口唇、左第一趾挫創の傷害を受けた。

2 ところで、被告らは、右1の(一四)ないし(一六)認定の原告らの各受傷の点について、仮にそれが肯認されるとしても、原告らが、機動隊によつて排除あるいは看守等されている際に、みずから機動隊員の所持する楯を足蹴にし、あるいはこれに体当りや頭突きを加えたりしたために生じた自損行為であると主張し、前記証人蔵、同丹保及び漆原の各証言中には右主張にそう部分があり、かつ、右排除過程で原告らの身体あるいはヘルメツト等と楯が衝突してかなりの物音がしたことは、前記二の2で認定したとおりではある。

しかしながら、右受傷の部位、程度についての証拠である<証拠略>の信ぴよう性を疑わしめる証左は本件においては全く存在しないというべきであるので、本件捜索差押直後において原告らが右傷害を受けていたこと自体は到底否定しえないものであるところ、その部位、程度に照らすと、右傷害が前記排除過程における衝突の際生じたものとするにはいささか合理性を欠くものというべく、さらに、原告ら各本人尋問の結果中右受傷原因に関する供述部分は、具体的で、合理性にも富み、信用しうると思われる一方、前記承認蔵らの証言部分は、原告らの右供述部分を否定するためには、あまりにも抽象的、一般的に過ぎるもので措信できないものというべく、さればとて、他には右受傷原因を合理的に証明すべき証左はないところであつて、これらの点と、前記認定の右受傷時点に至る経緯、その前後の事情その他弁論の全趣旨を総合勘案すると、前記1の(一四)ないし(一六)のとおり認定せざるをえないところである。

第二原告らの請求原因及び被告らの抗弁に対する判断

一 右認定の事実関係によると、本訴各請求中機動隊員による不法監禁を原因とする部分は、当該監禁の事実自体を認めることができないというべきであるので、その余の点の判断をなすまでもなく、認容するに由ないものである。

二 請求原因のうち機動隊員による暴行及び傷害の点については、事実関係は前記第一、三、1の(一四)ないし(一六)のとおりと認められるところであつて、これによれば、機動隊員は原告らに対し、ほぼ原告ら主張のとおりの暴行をなし、傷害を負わせたものというべく、右各暴行は、その態様等に照らし、学生らの排除あるいは看守のためやむをえなかつたものであるとは到底認められず、故意になされた違法なものであるといわざるをえない。

右の次第であつてみれば、右の点に対する被告らの抗弁は、本件捜索差押自体が適法であるか否かを判断するまでもなく、採用するに由のないものであることは明らかである。

三 しかして、当該機動隊員がいずれも被告石川県の公権力の行使に当る公務員であること及び被告国が法令により都道府県警察の経費負担者であり、従つて被告石川県が国家賠償法一条により損害賠償の責に任ずる場合における同法三条一項の費用の負担者であることは当事者間に争いがない。

右暴行、傷害は、右機動隊員がその職務を行なうについてなしたものであることは明白であるので、被告石川県は同法一条一項により、被告国は同法三条一項により、各自原告らに対し、右暴行等によつて原告らの被つた損害を賠償する責任がある。

四 そこで、原告らの被つた損害について考える。

1 <証拠略>によれば、請求原因3項(一)の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

2 前記暴行、傷害の程度とこれまでに認定した諸般の事情を合わせ考えると、右暴行等によつて原告らの被つた精神的苦痛に対する慰藉料の額は、原告ら各自につきそれぞれ金五万円とするのを相当と認める。

第三結論

以上の検討の結果によれば、原告らの本訴各請求は、被告ら各自に対し、原告八十島が前記第二、四の同原告分合計金五万三九五〇円、同久田が同じく金五万三一六〇円、同堀川が同じく金五万四三九〇円及び右各金員に対する前記不法行為の日の後である昭和五一年三月二一日以降各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余はいずれも失当であるのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用し、なお、仮執行の宣言についてはこれを付する必要がないものと認め、その申立を却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤邦晴 瀧澤泉 佐の哲生)

別紙図面(一)、(二) <略>

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